ひできさんの『三線教室(ってほど堅苦しくないですけど)』

静岡県浜松市で、日本一ゆるい三線教室を細々としている人のブログです。

"おきなわ"をたくさん連呼して気付くこと

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首里城公園の守礼門


学校で習った歴史(日本史)だけをバカ正直に覚えると、沖縄県は明治時代の途中まで日本とは全く違う外国で、沖縄県民はさも外国人だったみたいな言い回しに感じて仕方ないんですけど、要は「琉球王国」って名称のあれ。


他人(中国)から付けられたあだ名を対外名称にしたり、なかなか良いネーミングを与えられたもんだから、現代においてなお愛称として用いているのも良いとは思うの。



だ け ど さ 、



「沖縄(うちなー)」っていう名称をそこに住んでる土地の人たち(要は現代の沖縄県民のご先祖様の方たち)が、琉球王国が成立するはるか以前の古の時代から土地の自称に用いてたんだけど、これ、、、


◎うちなー:首里方言で"沖縄"

  ↓

◎おきなわ:"沖縄"

  ↓

◎おーきなわ

  ↓

◎おおきなわ:"大きな和"

  ↓

◎大和:日本の雅号



自分たちで「大和(ヤマト)」を名乗ってる、自称してるんですよ。

明らかに日本じゃん。


「ウチナーンチュ」って表現も、「江戸っ子」とか「博多美人」とかと同列でしょ。

そこに優劣なんてなく、郷土意識、地域意識の違いだけ。




あ、琉球王国だかの独自の統治機構があったことは否定しないですよ。

たしかにあれは存在していました。

尚さん一族が明清朝の皇帝に臣下の礼を取ることで国王を名乗ることを許されていたのもまた事実です。


で、当時の生活を鑑みると現代のような観光産業などが成り立つなんてまずあり得んし、そもそも農業にしてもあの沖縄のサンゴ石灰岩やら水はけの悪い赤土の土壌でやっぱりあの当時の技術水準から考えてまともに食料生産が出来ないとなると、住民が食ってくには対外的に交易することで生きてくしかなく、交易で生きてくとなると、上記の明清朝の皇帝の臣下でなければ基本的に交易は出来んかったもんでね。


それで王国だの国王だのという呼称によってさも別の国のような錯覚に陥ってますけど、私は他の都道府県と変わらないれっきとした日本の一部だと思ってますよ、私は。


海洋地域かつ大陸に近かった要因から、独自に交易で生きたんですけど、自分たち(住民)は「うちなー(大和)」って自称してたわけですから、心は昔から日本にあったんですよ。


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